ふぃふぃちるの長い午後

こんな僻地誰も来ないと思うので、好きに書いていこうと思います

実写版攻殻機動隊について思うこと

文脈、あるいはバックグラウンドを引き継ぐということは大変なことです。よい面もあるのですが,たいていは余りよくないことのほうが多いです.とくにこんな中途半端なブログをやっている人間にとっては.

そんなわけで,すっごく久々な更新の今日は実写版攻殻機動隊こと『ゴースト・イン・ザ・シェル』についてです.

 

 始めに申し上げておくと,私は実写版攻殻機動隊にあまりよい印象を持っていません.そのうえで,何で自分はあまりこの映画に乗りきれなかったんだろうか,という自己内省的な内容がこの記事の本旨になろうかと思います.

 

 いつごろ観たのかももう忘れてしまいましたが,たぶん封切り直後だったと思います.ちょうどいい時刻に吹き替え版がなく,字幕版で観ました.おそらくそれがあまりよくなかったのかと思います.というのも,何をトチ狂ったのかこの映画,荒巻課長役に北野武を起用しており,その北野武がまったく英語を話せないため彼だけ日本語で演技をしています.したがって,少佐やバトーが英語でペラペラしゃべる中荒巻が日本語で喋るというきわめてシュールな映像が繰り広げられます.しかも北野武は非常に滑舌がわるいため,彼の台詞だけは英語の字幕を追って理解していました.英語を理解する脳と日本語を理解する脳とに引っ張られてんやわんやです.

 私は映画を観ながら,これを演出の1つとして捉えようとしていました.すなわち,これは近未来の描写なのだ,きっと彼等は翻訳こんにゃく的な何かを介在させることで言語の壁を越えて会話できるのだ,と.作劇上あまりよい演出とは言いがたいですが,これならば意図は理解できます.

 しかしながら,物語中盤で登場する草薙素子の母親は流暢な英語を話すのです.演出に一貫性がないこと,これが第一の映画に乗り切れなかった理由になると思います.どうせ作り物の世界,しかもSFなので現実世界と違っていることはまったく問題ではありません.しかしながら,例えばあるときは上に落ちたりんごが特に理由もなく次のシーンでは真下に落ちたりするとモニョります.そういった首尾一貫性のなさを私は好みません.荒巻課長が日本語を話すなら,草薙素子の母親も日本語を話すべきだったのです.

 

 さて,演出の話が出たのでついでにお話しすると,実写版攻殻機動隊は非常にオマージュが目立つ作品です.オマージュそれ自体は別にかまわないと思いますが,本作ではそれがあまりよくない方向に影響しています.

 それが顕著なのがごみ収集の男がクゼにハックされるシーンから始まる一連の映像群です.実写版攻殻機動隊で一番退屈なところを上げろといわれたらここを選ぶかもしれません.そもそも,仮にも攻殻機動隊という名前が付けられた作品でごみ収集のおっさんが娘の自慢話してたら何が起こるかすぐ分かるってもんです.案の定騒ぎを起こしてスラム街を逃げて水辺で光学迷彩を使った素子にボこられます.悪い意味で期待を裏切らない展開でした.ハッキングを仕掛けるか銃で脅すかの違いはありますが,ハックされて良いように扱われ逮捕されるという筋がまったく一緒ですので,この一連のシーンはほとんど完全に予想がつき,その予想通りに物語が進行します.画面を見る必要はありません.

f:id:hpf4353:20180709234548j:plain

 哀れな清掃業者の取調べシーンは言うまでもなく2501の取調べシーンのオマージュなのですが,ここも2501のパロディーをやりたいがために突っ込みどころ満載となっています.なんで外部との通信を遮断していないのか.嘘発見器経由だ!などと言っていましたが,なぜ嘘発見器が外部ネットとつながっている必要性があるのか理解に苦しみます.ここパートの目的はクゼとの対話ですので,事前に清掃業者氏にダビングしておいた記憶を再生させるとかでよかった気がします.そしてこの哀れな清掃業者氏,案の定娘の記憶は植え付けられたものであったことが判明します.しかし,冷静になって考えるとその設定いる?という感じです.GISでの清掃業者氏は「嫁が俺の浮気疑ってて,このままだと子供つれて出て行くからゴースハックしなきゃ」という記憶を植えつけられておりかつハックの対象を誤認させられていたという理由付けがされていたのですが,実写版ではそういったものはありません.チェーホフの銃というと言いすぎですし,やりたいことも十分わかるのですが作劇上余り意味のないことが連続するシーンですので少々辟易します.このシーンについてはなんで自殺しろといわんばかりの首輪をつけているの?とか言いたいことは山のようにあるのですが,長くなってきたので別のシーンの話題に移ります.

 

 時系列が前後して恐縮ですが,次の話はゲイシャロボットの鑑識をするおばさんのシーン.

f:id:hpf4353:20180709234143p:plain

 この一連のシーンは明らかにイノセンスのハラウェイを意識したものになっています.

 ちなみに,ハラウェイの声優は榊原良子さんです.押井監督にとって榊原さんは非常に重要らしく,逆説的に榊原さんが演じるキャラクターは劇中で重要な役回り*1であることが多く,ハラウェイもその例に漏れません. じゃあこのおばさんもそうなのかというと別にそんなことはなく,もっと小さい口径の銃だったら仕事が楽だったんだけど,なんて皮肉りながらただ鑑識してるだけです.

f:id:hpf4353:20180709234901p:plain

 さて,このおばさん昨今の映画にしては珍しくヘビースモーカーです.なぜかといえばオマージュもとのハラウェイさんがヘビースモーカーだからです.

f:id:hpf4353:20180709235048p:plain

 じゃあなんでハラウェイさんがタバコ吸ってるの,という話ですが,これにはちゃんとした作劇上の意図があります.結論を先に書くと『ハラウェイの吐息が白いのか白くないのか分からなくする』という狙いがあります.なんのこっちゃ,と思われると思うので,以下で詳しく解説します.

 アニメイノセンスでハラウェイさんとバトー,トグサが出会う部屋はきわめて寒く,トグサの吐く息は白くなっています.

f:id:hpf4353:20180709235415p:plain

 

f:id:hpf4353:20180709235547p:plain

静止画だと分かりにくいですが,トグサの口の周りに白いもやがあるのに気付くでしょうか?映像だと分かりやすくもやもやしてます.

 では,バトーさんは?となるのですが,バトーの口から白い息は出ません.

f:id:hpf4353:20180709235642p:plain

 これは二人の身体の違いを表しています.つまり,義体化率の高いバトーさんは吐く息に含まれる水分の量が少ない,あるいは息を吐いていないということを表しています.さて,上の画像を観ると分かるようにバトーとトグサはほとんど部屋の端と端に立っています.これはバトーとトグサ(つまりサイボーグ,ひいては人形と人間)の二項対立を表しており,実際イノセンスという物語は「『人形』についてうだうだ語る人たちの主張をアンドロイド・人間双方の立場から体験する」という筋で進んでいきます.そしてハラウェイはそのうだうだ語る人の第一号です.ハラウェイさんは犠牲になったガイノイドを枕話にして滔々と持論を話します.

 さて,人間の吐息は白く,アンドロイドの吐息は白くない.では,ハラウェイは?となったところでタバコの演出が利いてきます.つまり,視聴者はハラウェイの主張がどちら側からなされているのかの判断をつきにくくさせる効果があります.おそらく押井監督は彼女の主張を視聴者にはニュートラルな立場で受け取ってもらいたかったのでしょう.

 ちなみに,ハラウェイはアンドロイド,あるいはサイボーグに類するものです.押井監督はこういった類の疑問にはきちんと答えを提示してくれるやさしさを持っています.

 どういう判断ができる根拠はいくつかあって

  • トグサの吐く息が白いと描写される前(つまり視聴者がそれに注目するようになる前)に吐く息が白くない
  • 瞬きを一度もしない
  • 自己紹介で「ハラウェイ.ミスもミセスも不要」と述べている
  • 子供も居らず結婚もせず,卵子バンクの登録もしていない

などがあります.ただし,最後の二つは彼女の持論が述べられた後に明かされますので,初見の視聴者はほとんどがハラウェイの立場についてあやふやなまま彼女の主張を聞くことになるでしょう.そして彼女がタバコを吸っているという事実が今度はイノセンスという作品内でのアンドロイドの振る舞いについて教えることになるのです.

 

 さて,だいぶ話がそれてしまいました.実写版攻殻機動隊の話に戻ります.実写版の鑑識おばさんのタバコについていかほどの意図があるかというとあまりない,というのが正しいのでしょう.普通の映画なら別に何の理由もなくタバコをすってもかまわないのですが,オマージュとしてそれをされるとどうしても過去の作品と比較してしまいます.

 ここで冒頭で述べた話につながるのですが,なまじ文脈を受け継ぐというのは余りよい影響をもたらしません.特に今作ではそれが顕著です.つまり,何もしなければこの作品は作品単体としての評価を得られたかもしれなかったのですが,オマージュによって否が応でも過去作との比較を余儀なくされるのです.単体では狩られないカモがネギしょってきているようなものです.*2

 じゃあいいオマージュってなんなんだとなりますが,これも実はイノセンス内に答えがあります.それは物語中盤,キムの館でわけの分からない話についていけなくなったトグサが言った「そろそろ仕事の話しない」という台詞です.これはパトレイバー2で荒川の長話に飽き飽きした後藤隊長の言った「そろそろ仕事の話,しません?」のセルフパロディです.これは

  • 相手の演者がどちらも竹中直人
  • 物語の本筋とは関係がない,しかし作品のテーマを相手が話している
  • そこから物語の展開に戻そうとする場面

という点で似通っており,また同一の演出意図で用いられているため視聴者に混乱をもたらすことがありません.

 

 いまいち実写攻殻に入り込めなかった理由の最後として背景美術のヤバさがあるのですが,それは予告編でも見てもらったほうがわかってもらえると思います.作品に飽きた私は途中から背景に書かれた怪しげな日本語を探すことをもっぱらに行っていました.

 まだまだ書きたいことはあるのですが,疲れてタイプミスが増えてきたので唐突にここで終わります.

*1:ちなみに私が一番好きな榊原さんの役はパト2での南雲隊長です.

*2:この比喩は自分でも分かりにくいなっておもった