ふぃふぃちるの長い午後

こんな僻地誰も来ないと思うので、好きに書いていこうと思います

最近のデュエルマスターズについて思うこと

ブログがブログであるためには驚くほど多くのものが必要です。他のブログと隔てるためのオリジナリティ、それと意識しないデザイン、訪れたときに見つめる記事、過去の豊富な記事、未来の予感……つまり記事を書き続けなければならないわけです。

というわけで今日はデュエルマスターズのお話です。

 シンゴジラの話はどうなってんだクソボケと思っていらっしゃる人、ごもっともだと思います。ごめんね

一応言い訳しとくと、とうとうデスクトップパソコンがぶっ壊れたんですよ。だから記事を書くために見返すことができない状態なのです。

それに、自分の中で書くぞという気が起きないのも原因ではあります。文字に限らず表現の界隈ではなんでもそうだと思うんですが、『表現したい!』という気持ちが強ければ強いほど、その人のパフォーマンスはいいものになっていきます。俗に言う気持ちが伝わる、というやつです。

逆もまたしかりで、やりたくもない、書きたくもないものをいやいややってもいいものは生まれません。そんな状態でお出しされたものは、読むほうも苦痛です。別に某サークルの会誌批判とかしてません

そんなわけでシンゴジラの話はちょっとまってください。

 

 

本題に入ります。デュエルマスターズのお話。

最近デュエマの環境が高速化しているというのはよくいわれています。そして体感としてそれはまぎれもない事実だろうと思います。環境の高速化とはキルターン、つまり死ぬまでのターンが短くなっていくことを指します。

現環境はエアプなので詳しくは分かりませんが、ビートだと4ターンキルあたりがボリュームゾーンじゃないでしょうか。ビートジョッキーならば3ターンキルもままあるでしょう。

翻ってコントロールデッキのキルターンはどうなの、というと一概には言えない感じです。(そもそもコントロールは相手に応じていろいろ策を変えていくので)ただ、序盤のビートの猛攻を凌いで形勢逆転を狙うというのはだいたいどのデッキも同じかなという風に思います。で、どうやって凌ぐかというとシールドトリガーかハンデスですね。シールドトリガーだとカーネルからプチョ叩きつけたりダイスベガスからガロウズホール唱えたり、ハンデスは言わずもがな軽量ハンデスです。ビートに引っ張られるようにしてこれらの性能も上がってきていて、コントロールも高速化していると言えるでしょう。

 

じゃあ環境が高速化したら何が悪いんだ、という話になってきます。結論からいえば運ゲーが加速します。なんで高速化したら運ゲーになるんだというと、ゲームのシステム上仕方のないことですが、早く死ねばそれだけ引けるカードが減るからです。それはつまり対抗札を引けるか引けないかの運に大きく左右されるということになります。例を挙げると、相手の動きが早ければ早いほどハヤブサマルが引けなくなるということです。

ものすごく雑な言い方をすると、速効は相手のカードを使えなくするという意味においてハンデスに近いのかもしれません。

 

じゃあ運要素が必ずしも悪かというとそうとも限らないのが難しいところです。ランダムに与えられた手札の中から最善手を導き出すのは確かにプレイングであり、また同時にそれは運要素でもあります。

そうはいってもやはり、初手5枚の手札がものをいうゲームになっているのは否めません。それは最適解とそうでない動きの強さの差がインフレによって大きくなっているためです。デュエルマスターズにおいて、プレイングが介在できる領域は非常に小さくなっています。その場所を埋めているのは構築と運、あとデッキそのものの相性です。

インターネットがここまでの発達をしているのも原因の一つかもしれません。1970年頃とかに今のカードプールが与えられてもぼくは『都会ん方ではでは緑ループとかいうおっかねえデッキがあるらしいべ』とか言いながらI amビートとか組んでたと思います。ネットによって知識は集合され、デッキ構築のテンプレがものすごい速度で洗練され広まっていきます。裏を返せばそれは構築のレベルが皆だいたい同じになっているということで、あと残された要素は運とデッキの相性ということになります。でもデッキの相性ってつまるところ誰に当たるかという運であるので、やはり運ゲーじゃないか、ということになります。

 

じゃあどうすればええねんという話ですが、答えとしてはサーチを強化することなのかなあなどと思います。知り合い曰く遊戯王では先行一ターン目にデッキの中のカードを殆どサーチできるそうですね。それはやり過ぎだろうと思いますが、DMももうちょっとサーチ強くてもいいんじゃないかな。

デッキの相性はしらん。環境を読んでくれ。

 

というのが、競技としてみたDMについて思うことです。これが競技だとか意識高いこと言ってないでコンテンツとして見ると、また話が違ってきます。

忘れがちですがそもそもからしてDMは小学生向けコンテンツであり、彼らに向けたマーケティングが第一であるべきです。ダブルビクトリーの封入率?知らん

デッキをフルレートでそろえ、スリーブを3重4重にし、手札をパチパチさせるいい年した男どもではありません。

 

小学生のようなカジュアルプレイヤーはティミーおよびジョニーでしょう。勝ち負けよりも楽しさを求めているわけです。ならば、運次第で自分の好きなカードで勝てるゲームは、彼らの求めるものその物でしょう。また、わけのわからない派手な勝ち方(あるいは負け方)というのも彼らにとって楽しい経験足りうるでしょう。

となれば、DMに競技性を求める方が筋違いなのだ、と運営からすればなるのかもしれません。そしてぼくも最近はそう思い始めています。勝ち負けだけを志向するのではなく、もっと楽しさを目指した方が幸せだろうと思います。思えばDMの大会は賞金とか一切出ませんね。競技性については運営はそこまで頓着していないのでしょう。

 

ここまで書いて思ったのですが、DMに限らずTCGと競技性って滅茶苦茶相性悪いんじゃないでしょうか。純度100%スパイクしかいないようなTCGでない限りは。

 

 

追記:ティミージョニースパイクはWotCがプレイヤーを分類するときの用語です。詳しくはこちら⇒

Timmy, Johnny, and Spike - MTG Wiki